. Camera Restore

10years ofJFC


《レストア報告11年目 & JFC10年》

 このレストア報告を開始したのは2001年1月10日だから、10年が経過した事になる。同じ年の春に発足したJFC(JAPAN FAMILY CAMERA)も間もなく創立以来満10年になる。多くの方に助けられて、気が短く続かない私が、ここまで続けてこられた。ありがたいことだ。もちろん、叱咤激励ならぬ誹謗中傷とか、短い文で意を尽くせぬゆえの行き違いなどいろいろあったが、それらも全て糧になったと感謝している。

 初期には単なる試用レポートが多く、今振り返ると冷や汗が出そうな低スキルだったが、挑戦するごとに新しい発見があり、飽きることなく楽しんでこられた。私の趣味は浮気の連続(請ったものリスト、油彩・彫刻・写真とバイク・陶芸・カスタムナイフ製作・写真アゲイン・・・)で、レストアもいつまで続くか危ういものだったが、ビュッカーさん、たかさきさん、怪鳥(JFC会員は会長に対して親しみを込めてこのニックネームで呼ぶ)はじめ、多くの良き先輩を得てここまで続けてこられた。

ここにあげた皆さんはすべて私よりお若いのだが、趣味に年齢は無関係だ。今でもビッュッカーさんは師匠、怪鳥は先達、たかさきさんは高き峰として尊敬している。もちろん、他の会員諸氏も、それぞれの分野で素晴らしい人揃いで教えられることが多く、感謝している。


 新しい世紀が始まった頃、「21世紀はデジタル記録の時代で、銀塩カメラは大幅に縮小し、デジタルカメラにその地位を奪われる。フイルムの種類は減り、銀塩カメラを続けるのは趣味の人だけになる」という私の予測に、「ラ*カ(この場合銀塩の)は永遠だ。デジタルがフイルムを上回ることは無い。お前の考えは大げさで杞憂に過ぎない。」と一笑に付した人が、今ではデジタルカメラを握って活躍していると聞く。

 彼らに対してあえて変節とは言わない。カメラ業界の底力は、デジタル機器を通常用途において銀塩カメラを凌駕する存在にまで高めると、当時に予想したかどうかの違いだけだから。低コストと高画質(いろいろ異論はあるが)のもたらす必然結果としてそうなった。

 この時も今も私のスタンスは変らない。「記録はデジタル、趣味は銀塩」だ。大量に写して、保存のために焼く前にセレクトする孫の写真などは、デジタルでなくては手間もコストも膨大になってしまう。レストア記録で接写するのは、デジタルカメラ以外に考えられない。


 こういう時代に銀塩カメラをレストアし、試写し、報告するのは「面白いから」につきる。この面白いとは壊れたカメラの壊れた原因を追究し、自分の手で復活させることが第一に挙げられる。そして、撮影・現像・後処理など全ての厄介なプロセスと、その時に得られる達成感を楽しむまでがこの趣味の醍醐味の半分である。残りの半分は、デジタルにはない画像が意図的に、または偶然の産物として得られる点である。

 自己満足かもしれないが、フイルムの粒状性や広い諧調が私には魅力的で、魅力があるからこそ使っている。カメラが発達しても、絵画の価値は変らないのと同様の感覚だ。一方で、デジタルには銀塩に得られない力があり、レコードとCDのように共存するのが望ましい。デジタルカメラが擬似フイルム効果「***風エフェクト」や、化学的プロセスが無いデータ処理に「RAW現像」などという用語を使って擦り寄るのは情け無い。新しい媒体の可能性をカメラの開発でも撮影でも追求すべきだ。

 この10年はカメラを取り巻く大きな変化があった10年だが、良い仲間が一杯増え、オフで会うのは当たり前、初めて会っても10年来の知己の如くなるのがうれしい。これが何よりの喜びであり、財産だと感じる。


JFC会員に限ることではないが、うち捨てられそうなカメラを「**を救出した」と言う時がある。機械としては生きている、又は少しの手入れで復活するカメラが、一般的には無価値と看做され、価格とも言えない値付けでジャンクワゴンに積み上げられ、ヤフオクで何ヶ月も廻っているのを見るのは悲しい。全て救うのは無理だが、それでもいくつかは機能と位置を取り戻し、再びフイルムに光を与える機械に戻すことを、心を込めて「救出」と表現している。

 一方で、まともならリセールバリューが高いカメラのジャンクを集め、低レベルの修復で見掛けはまとも風にして売りぬける輩がいる。また、直せないままいい加減に組んで、売りに出す愚か者もいる。カメラに一片の愛情も感じられないこのような者は、カメラに関わって欲しくない。金銭でしか物事を考えられないとは悲しいことだ。


 最近は「クラカメブーム」なるバブルは消えて、ほとんどの機種は奪い合わなくても手が届く所まで価格が下落している。喜ばしい半面、安すぎるのでゴミとして捨ててしまう傾向を助長するならこれも困ったことだ。ものを大切にすると言う根本が腐ることだから。

 「カメラ女子」などというくくりがあるらしい。写した写真に性別など無い。これは単なるブーム、ファッションでしかない。フイルムやカメラの存続に寄与するならそれもまた良しだが、来年の今頃には忘れられている一過性のものだろう。形で入る者が続くことは無いのだから。


 ホームページ・ブログ・ツイッター・フェイスブック・・・まあどんな形であれ、写真や意見を自由に発表し、世界中から自由に見られるのは大変な進化だ。それが単なる自己満足や自己顕示だけの写真、意見を大量に垂れ流していても、見る人がセレクトすれば良いのだから。短所もまた多いが、とにかく自由度が高まったのは素晴らしい。

 「フイルムが無くなったら自分で湿版を作る」というフレーズが、全くありえないとは言えないフイルムの減退は悲しいが、全て消えることは無い。レコードと針の関係同様、わずかのニーズを集約した形で残るだろう。不活発なJFCも同様に。

 To be continued,


2011 January
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